§低湿地施設トマト栽培における省肥料環境保全技術
三重県農業技術センタ一 生産環境部
研究員 出岡 裕哉
§生命にとって塩とは何か
-生物と塩との関係史-10
京都大学名誉教授
近畿大学農学部教授
高橋 英一
§ダイレクト・セル苗を利用した抑制トマト栽培
千葉県山武郡横芝町
若梅 健司
三重県農業技術センタ一 生産環境部
研究員 出岡 裕哉
施設トマトの栽培は,長段取りの場合,定植から収穫終了までおよそ8ヶ月の長い期間となり,与える肥料は窒素で10aあたり40~50kgになる。トマトの窒素の吸収量はおよそ35kgであるので残りの窒素は土壌中に残ることになり,この余分な肥料が土壌から流出すると水質環境汚染の一因となる。そこで,このような余分な肥料をできる限り抑え,環境にやさしく,しかも収穫量を落とさない施肥方法を開発するため,三重県農業技術センターでは,都市近郊の施設野菜産地における省肥料環境保全技術の確立に取り組んでいる。
慣行栽培では,施用される肥料は有機質肥料が大部分を占め,基肥と2回の追肥,根域への液肥灌注,畝の上からの液肥施用,葉面散布という方法が用いられる。追肥は,現地では,「穴肥」と呼ばれる方法で施用するが,これは1株当たりに窒素成分で10gを畝の下部に深さ15cmほどの穴を開けて施用する方法で,調査の結果,栽培終了時にも38%の窒素成分が残存していた。
栽培跡地土壌に残存する窒素成分は,湛水除塩時に地下水系へと流出することが懸念されるため,試験では,緩効性肥料を用いた局所施肥技術,地中かん水パイプを利用した根域への液肥施用技術,栄養診断による過剰施肥の回避により,施肥窒素の利用率を向上させるとともに,跡地土壌に窒素成分を残さない施肥方法に取り組んだ。
試験は県内有教の施設トマト産地である桑名郡木曽岬町で実施した。この地域は,いわゆる輪中地帯で地下水位が高く,砂質の作土の下層にはグライ層が存在する。供試品種はハウス桃太郎,作型は長段取りの抑制栽培で試験を行った。施肥設計は,表1のとおりで,実証試験では,慣行栽培で施用する2回の追肥を省略し,6ヶ月タイプの緩効性肥料を畝芯へ基肥時に施用した。また,液肥については,地中灌水パイプにより施用した。

施肥窒素量は慣行区の49.2kg/10aに対し,実証区では28.8kg/10aとなり,慣行区の59%と大幅に削減された。
実証区のトマトの生育は,最大葉長,茎径とも慣行区を上回ったが,4月以降の茎径は,慣行区に比べやや細くなった。実証区の葉色(SPAD値)は,慣行区を終始下回った(図1,2,3)。



収量面では,果房別の平均果重は,生育の前半と生育の終期に慣行区を下回ったものの,冬場の低温期には慣行区を上回った。総平均果重では,慣行区の188gに対し実証区では186gとほぼ同等であった。また,果房別の果重も平均果重と同様の傾向を示したが,10株当たりの総収量(主枝3段~側枝7段)では,慣行区の86.2kg(100)に対し実証区では84.0kg(97)とほぼ同等の収量が得られた(図4,5,表2)。



以上,単年度結果であり今後も継続した調査が必要であるが,6ヶ月タイプの緩効性肥料を畝芯へ施用することにより,窒素施肥量は慣行比59%で慣行栽培とほぼ同等の収量が得られた。栽培の前半と終期には,トマトの生育,収量とも慣行区よりもやや劣ったことから,肥料がやや不足したと考えられ,液肥による相応の追肥により,慣行栽培と同等以上の収量が確保できると思われる。但し,生育全期間をとおして葉色がやや浅い色になるため,栽培管理面で施肥を行わないよう注意が必要である。また,トマトの果色が着色段階でやや薄くなることが認められた。
過剰施肥の回避という面から考え,トマトの栄養状態を把握し,不足分だけを追肥で補うことは重要である。栄養診断の方法は,葉柄をニンニク絞り器で搾汁し,その汁液中の硝酸態窒素濃度を基準値と比較して診断する。分析方法としては,生産現場で簡易迅速に分析を行うため,小型反射式光度計を用いる方法を開発した。この方法は分析精度も高く(図6),分析値と予め作成した基準値との比較により追肥の施用を判断できる(表3)。


但し,施肥窒素のトマト葉柄汁液中硝酸態窒素濃度への反応はやや鈍く,またトマトの個体差も大きいため適用には注意を要する(図7)。診断を行う場合には,生育中庸な10株程度をサンプルとした平均をとることが必要である(表4)。


栽培期間中のトマト葉柄汁液中の硝酸態窒素濃度の推移を図8に示す。平成8年度の現地調査の結果と前年度を比較すると,葉柄汁液中の硝酸態窒素濃度は低く推移し,最大葉長は前年度に比較して安定して経過しており(図9),収穫量も多かった(表5)。



施設野菜栽培において実施される太陽熱消毒や湛水除塩の期間には,大量の水を使用した湛水処理を行うため,収穫後の跡地土壌に残る肥料成分の地下水系や排水路への流亡が懸念される。三重県は伊勢湾という半閉鎖性水域を抱えており,肥料成分,特に窒素,リン等の流亡は伊勢湾の富栄養化にもつながる。環境保全型農業を進める上で,湛水処理時の硝酸態窒素を中心とした動態を定量的に把握することは重要であると考え試験を行った。
太陽熱消毒及び湛水除塩期間に,施設内部及び施設外部で土壌層位別に深さ150cmまでの土壌溶液を継時的に採取し,その硝酸態窒素及びアンモニア態窒素濃度の推移を調査することで,地下水系(縦方向)への窒素成分の移動と,施設外部(横方向)への窒素成分の流出についてを明らかにしようとした。また,栽培終了時に土壌断面調査を実施し,土壌各層の孔隙率を把握,湛水処理時にはこの孔隙が水で満たされると考え,土壌中の窒素成分動態の定量的な把握を行おうとした。
太陽熱消毒期間,湛水除塩期間とも作土中の硝酸態窒素濃度は下層へと移行しながら徐々に低下したが,50cm以下のグライ層では硝酸態窒素は認められないため,地下水系への硝酸態窒素の流亡は無いと推察した。また,施設外部での土壌溶液中の窒素成分の推移からも施設内部からの流出は認められず,硝酸態窒素が消失していくのは,グライ層における脱窒によるものと推定した。なお,アンモニア態窒素濃度は,両期間ともほぼー定の濃度で推移した。両期間の硝酸態窒素の消失量をほ場10a当たりとして算出すると,太陽熱消毒期間には6日間で7.5kg,湛水除塩期間には8日間で10.6kgの窒素が脱窒により消失したことになる(図10,11,表6)。



脱窒能に関するこれまでの報告では,1日,1㎡当たり1g前後のものが多く,本試験では1.3gと脱窒能はやや大きいが,この地域のグライ層は,全炭素1.4%,全窒素0.12%と作土よりも腐植に富み,土壌溶液の酸化還元電位も同地域の湛水中の水田と同様に100mV程度まで低下しており,脱窒による消失とする推察は妥当と考えられた。
本試験の結果から,作土下層にグライ層が存在する施設ほ場では,跡地土壌に残存する窒素成分は,その大部分が脱窒により消失すると考えられ,地下水系への硝酸態窒素の流亡は無いと推察された。
京都大学名誉教授
近畿大学農学部教授
高橋 英一
昔から今にいたるまで,人間はどのようにして必要な塩分をとってきたのだろうか。それは食文化の歴史とどのようなかかわりをもってきたのだろうか。
古代人の食生活は,狩猟,採集,漁労によってささえられていた。古代人が生活していたとみられる洞窟からは,打ち割られた獣骨の類がでてくるが,これは古代人が捕獲した獣の,肉や臓物だけでなく固い骨の中にある髄もぬきだして食べていた,つまり食べられるところはすべて食べていたことを物語っている。また古代人が住んでいたことを示す貝塚があるが,これは古代人が貝類を好んで食べたことをうかがわせる。
そのほかクルミ,ドングリ,クリ,トチの実など,タンパク質や脂質に富んだ堅果を採集したり,自生するテンナンショウ,クズ,カタクリなどの根茎を水にさらしてデンプンを採取することもやっていた。このような雑食の時代には,本能にもとずく選択ながら,栄養のバランスは結構よくとれており,必要な塩分も鳥獣,魚介の類からとれていたと思われる。
ところがその後農耕時代に入り,森を出,海辺を離れた平野部で定着生活を営むようになり,人口が局所的に増加するにつれて,食生活は大きく変わっていった。わが国では,2300年ほど前の縄文晩期に,九州へイネをたずさえた渡来人がやってきて,湿地帯にイネをつくりはじめた。米はそれまでに焼畑などで栽培されていたアワ,ヒエなどにくらべて味がよく,収量も多かったので稲作は急速にひろがり,それとともに日本列島の人口も,狩猟採集時代の1000倍程度に増加したらしい。
米などの穀食が中心になると,カリウムの摂取が多くなるので,バランス上ナトリウム(食塩)の要求量が高くなってくる。また農耕がはじまって穀類の摂取がふえてくると,狩猟採集時代の臓物などを食べる習慣もしだいになくなってきた。このようにして自然の食物からとる塩分だけでは足りなくなってきたため,別なところから塩を手に入れて食物に加える工夫をするようになった。この添加物としての塩の登場は食文化を豊かにしたが,反面,塩の取り過ぎをもたらすことにもなった。
わが国は気候の関係もあって岩塩はほとんど産しない。それで海水から塩をとる天日製塩が海辺の近くで行われるようになった。しかし海水を濃縮してつくった海塩にはマグネシウムなどが含まれており,わが国のような湿潤気候では潮解しやすいというなやみがあった。また当時の技術では多量の塩を得ることはむつかしく,貴重品であったので,塩分の高い食品をつくりだし,これによってナトリウムの補給をはかるようになった。すなわち醤(ひしお)の発明である。
これには穀びしお(後代の味噌,醤油のもと),草びしお(後代の漬物),肉びしお(しおから)などがあり,食物の保存と調味料をかねた食品となった。その後米食の割合が高まるにつれて食塩の摂取量も増加し,高血圧を引き起こすようになった。すでに平安末期には脳卒中らしい病気の記録があるという(吉田勉篇「公衆栄養入門」,有斐閣新書)。
塩を食品の保蔵(塩蔵)に用いたのはヨーロッパでも同じであった。太古ヨーロッパの大地は森に被われていた。そしてこの森の海の中に,島のような形で村落が点々として存在していた。森に生えている木の中で一番多いのが樫の木で,この樫の実は豚を飼う大切な餌であった。17世紀ごろまでヨーロッパ人が普通にたべた肉は豚か羊で,樫の実は「豚のパン」といわれたという。ヨーロッパが樫の木の森に被われていた時代には,農家はかならず豚を飼い,豚は穀物とともに重要な食料となっていた(木村尚三郎著「ヨーロッパからの発想」角川文庫)。
秋の終わりになって,豚の重要な食料である樫の実がなくなると,少数の豚を残して屠殺し,塩漬け肉として冬場の食料に貯えた。冬は「肉料理」の季節であり,そのため冬が過ぎると肉の食べ過ぎから「春の病」 (ある種の発疹症状)が発生した。それを治療するのに煎じ薬とか刺絡が用いられたが,教会は一つの特効薬を義務づけた。肉食を絶つこと,四句節がそれであった。灰の水曜日から復活日の前日までの日曜を除く40日間,信徒は肉を絶ち大斎する義務があった。
この塩蔵による食品保存は,その後コロンブスやマゼランらが活躍した大航海時代に大いに利用された。長期間の航海にあたっては,その間の食料の保存がもっとも大切であるが,現在のような冷凍設備や防腐剤のなかった当時,塩は唯一の食品保存料であった。塩の利用がなければ,新大陸の発見(1492年)や世界周航(1519~22年)などの偉業は相当おくれたと思われる。
塩の摂取量は民族差や地域差が大きいことが知られている。一例を表12に示した。ここに見られる差がどの程度民族的(遺伝的)なものにより,どの程度環境的なものによるのかはなかなか決めにくいが,つぎのようなことが考えられる。

一つは製塩法を知らない,あるいは塩のとれない地域の人々の食塩摂取量は少ないことである。エスキモー,マサイ族,ヤノマモインディアンの食塩摂取量が低いのはそのためである。わが国でも北海道のアイヌの人たちが塩を用いるようになったのは,倭人と交渉をもつようになってからで,それ以前は干し魚をつくるのにも塩を用いず,サケ,シシャモなどの魚は戸外で凍らせ,食べるときに解凍し,刺身(ルイベ)にして食べるという独特の食文化をもっていた。エスキモーの場合はトナカイなどを血液,臓物ごと食べるので,そこから十分ナトリウムをとることができる。
ヤノマモインディアンは,果物や野菜,野鳥,魚などをとっており,食塩の摂取量は極端に少なく,これに対してカリウムの摂取量はその150倍にも及ぶが,体内の調節系によってカリウムの排泄を促進し,ナトリウムの再吸収を高め,血液中の両者のバランスを保つ能力を持っていることが知られている。
わが国では東北地方で塩の摂取量が多く,それが高血圧症の多い原因の一つであるといわれているが,塩の摂取量には食事や気候の影響が大きいようである。東北地方は食資源は豊富とはいえず,穀類野菜を多量にとる炭水化物にかたよった食事形態が一般であった。そして冬は長く,寒さはきびしい。ところが高炭水化物食の場合は,寒冷下で食塩が肝臓でのエネルギ一代謝を昂進し,体温を上昇させる作用のあることが明らかにされた。
これらのことから,かつての東北地方の人々にとって,寒さのきびしい環境下,重い農業労働に従事するためには,穀類や野菜などの植物性食料の大量摂取が必要であるが,それを支えたのが食塩であったと理解できる。そしてこのような環境が,食塩を過剰にとる食事のタイプをつくりだしたと思われるのである。
植物性食料偏重が食塩の摂取量を必要とする極端な例として,「塩は凶作年第一の毒消し」という言い伝えがある。飢饉のときは塩さえ絶やさなければ,山野の草根木皮を食べて露命をつなぐことができるが,塩がなければ毒にあたって死ぬというものである。このような食べ物では,塩をとらなければナトリウムとカリウムのバランスは著しく悪化するのは当然であり,毒というのは過剰のカリウムということになる。
日本人の塩分の取りすぎは以前から指摘されていた。もっともそれにはかつての東北地方のように,気候や社会労働条件からやむをえない面,まがりなりにも過酷な生活環境への適応という面もあった。しかし現在問題なのは加工食品の偏用,食事のインスタント化がもたらす塩分のとりすぎである。
表13に見られるように食品の加工度が増すにつれて,食品のナトリウム含量,ナトリウム・カリウム比は著しく増加する傾向がある。コムギやジャガイモは素材のままではあまりにもナトリウム含量は低く,ナトリウム・カリウム比が小さい。したがってこれに適量の食塩を加えることは,栄養の面からも食味の面からも望ましいことである。

しかし,たとえばスナック麺のようにあまりにも度が過ぎると問題である。味覚は本来必要な養分をとる動機づけをする役目をもっている。握り飯を食べるとき塩気がほしくなる自然の欲求は,ナトリウムとカリウムのバランスをとらせるきっかけを与える。しかし味覚はしばしば好適な栄養摂取を行わせる指針となり得ない場合がある。食塩に対する嗜好性もそうで,生理的必要性を越えて昂進する傾向がある。ここに落とし穴があるのである。
千葉県山武郡横芝町
若梅 健司
私の住む横芝町は千葉県のほぼ中央,成田国際空港の滑走路の延長下,九十九里浜より6kmの地点で,平坦な河川沖積層からなる。昭和40年に構造改善事業で,今まであった島畑をまとめ,当時稲作が有利であった関係から水田85%,畑15%とした。昭和45年になり減反政策が打出され,それまでの農業形態は一変され,私は水稲を手植から機械植に代えて省力化を図り,ハウス栽培を導入した。以来,春メロン,抑制トマトの年二作の作型で早いハウスは30年の連作になるが,これという連作障害もなく今日に至っている。
近年,花き及び葉菜類はセル成型苗の普及が進み,そのマニュアルも確立されているようであるが,果菜類では,研究及びその利用が遅れている。しかしここに来て省力低コストの面からみて有望ではないかとの声も多い。私は一番難しいとも言われるトマトについて八年程前から取組み,試行錯誤の末,どうにか一定のマニュアルみたいなものが出来つつある。
トレイに直接播いて,トレイから直接本圃に定植することから,私は,「ダイレクト・セル苗」と名付けた。途中から共同で研究開発した「サカタのタネ」もそう呼んでくれている。
床土量は,10.5cmの鉢に比べ,30cm×60cmのトレイで,72穴で8分の1,50穴で5分の1程度,育苗床面積も10分の1~15分の1程度と少なく,トレイ等資材面でも低コストで育苗出来る。労力面でもかなり省力化され,特に定植時の労力は苗運搬も楽で,ポットの片付けもなく,10分の1程度である。しかし,どんなに省資材・省労力でも,品質・収量面が悪く収入が低くては普及性がない。このダイレクト・セル苗は,若苗無仮植であるので若苗強勢の長所が出て,後半までスタミナ配分がよく,品質・収量面で今までの育苗に比べて遙かに有利とみている。
しかし,長所ばかりとは行かない面もある。何事も長所があれば短所もある。その短所とは何か。それは若苗強勢の裏目で,一つには,あまりにも草勢が強くて異常茎が出易い,二つには一段果房に奇型果,乱型果が出易い,また三つ目には一段果房の着果節位が上り易く,丁度一段飛んだような感じとなる。これらの問題を回避するには,どうしたらよいのか。順を追って追究してみよう。
異常茎の出にくいおとなしいタイプの品種,例えば,ハウス桃太郎,桃太郎ヨーク,メリーロード,SC5122,至福,ちあき,Eの559等が挙げられる。
昔から苗半作と言われているが,苗の良悪は床土にあると思う。ポット育苗に比べ量で5分の1から8分の1で済むが,それだけに床土の物理性が要求される。排水性がよく,保水性に富む物,肥料成分は1ℓ当りN150mg~200mg,P500mg,K200mg位,春育苗では,育苗期間は長いが,N150mg,抑制等育苗時灌水量の多い時期は,肥料が流亡する可能性もあるのでN200mgと若干多い目の方がよいようである。
与作N15,N20,改良200(果菜類専用培土),いちご専用(燻炭入)(小型ポット用いちご専用培土),げんきくん,良菜培土,プライムミックス,サカタスーパーセルトレイ,タキイ鉢上培土等がある。私の場合,一部は自家培土及び自家培土と与作V1号との混合床土も使用している。本年は普及センター及び県の応援を得て調査をしたので,その資料を掲載したい(表1,表2,及写真)。



表1,表2,写真等の結果からすると,いちご専用培土は発芽揃い・発芽勢共よく,初期の生育からじっくり太目に育ち,特に後半軟弱徒長になりにくく,トレイの根の分布もよく,定植時トレイから容易に抜け,植傷も少ない。N成分も少なめであるので,着果節位もあまり上らず,奇型・変型果の発生もみられなかった。抑制はN200mg位がよいと言ったが,本年の場合は72穴から55穴に変えたこともあり,1本当たりのN量が多くなるので150mgでもよいのかなとも思われるが,170~180mgがよいようである。又燻炭入が効果がある様にも思われる。炭素の効果,昔電子農法と言っていた事を思い出す。育苗が延びる場合は,マイクロロングを1箱当り20g位前もって散布した区もよかった。又,後半肥切れしたかなと思ったら液肥の1000倍液の灌水が効果的であった。
水稲育苗箱の上にトレイを置き床土を詰め,充分に灌水をする。トレイの底穴から水が出る位かける。出来得れば一晩位放置してからの方がよい。指先等で種子の厚みの2倍位の深さに穴を作り,ダイレクト・セルであるから直播,一粒づつトレイに播く。昨今の種子は発芽率がよいから心配はない。たまには二粒落ちてもよい。後で間引き,場合によっては補植用として使用する。
播種が終ったら覆土し,オーソサイド800倍液を1㎡当り2ℓ位灌水する。その上に新聞紙で乾かないように覆う。乾き過ぎると極端に発芽揃いが悪くなる。1~2芽発芽したら遅れないよう新聞紙を除去する。日中遅れて除去すると白化現象を起すので注意する。
ベンチ育苗,垂木等で置上げ,水稲の育苗箱に入れて直置,育苗箱を裏返しにして直置等いくつかの方法がある。一長一短があるが,時期々々により温度・湿度等の関係で選ぶようにする。抑制栽培ではベンチ方式は乾き易く,特に周りの部分が萎れ易いので灌水等の管理が大変である。私の経験では,垂木程度の置上げがよいようである。発芽揃いをし本葉1枚になったら,1本以上の株は間引き,欠株があれば補植する。灌水は原則的には午前中に行ない,三時以降の萎れでは灌水はしない。少し位の萎れでは夕方から夜になれば元気が出て直ってくる。この時,我慢が出来ず灌水をすると軟弱徒長となる。又,翌日雨にでもなると尚更である。又,病気の発生にもつながる。
ある程度伸びて来たら,箱と箱との間を広げずらしをする。抑制栽培では,25~30日位,他の作型ではそれ以上の日数を要する。55穴トレイで本葉4~4.5枚,72穴では2.5~3枚で充分に根が廻り,根鉢気味になってトレイから簡単に抜ける程度を目安とする。それより早くては根が切れてトレイに根を残してしまうので活着が悪い。
トマトのダイレクト・セル苗は他のセル苗と異なり,根鉢にすることがポイントと思う。前にも述べたように,若苗強勢の裏目,異常茎,奇型・乱型果の発生を防ぐには老化気味に持って行くことである。私は,三年程前に作業の都合上,50日育苗でかなり老化した苗を植えた経験があるが,初期はみすぼらしい状態で友人もこれでトマトになるのかなと心配をしてくれたが,結果的には後半草勢バランスがよく,一段からきれいな果実が収穫出来た。異常茎,奇型・乱型果,チャック果の発生は皆無といってよい程であった。
一般的にはセル成型苗は植遅れないように老化苗にならないようにと研究機関・学者等は口を揃えて言っているが,私は,トマトに対しての考え方は反対であると思う。最近やっと現代農業及び千葉県では私の主張を理解してくれた。又,三つ目の問題の着果節位が上ることについては,そのメカニズムについては良くは解らないが,本年変った現象が現われた。通常だとこの時期のトマト苗は播種時期が遅れて高温になると上る傾向があるが,6月23日播きは平均11節,30日播きは9節と低くなっている。これは7月10日から13日頃まで天傾が悪く,温度が下っていたので,その影響で花芽分化がなされたのではないかと思う。
定植及びその後の管理については次回に譲る事としたい。